役行者残片(1649年)
役行者小角は、おもに大和国葛城山で修行し、7世紀後半から8世紀にかけて活躍した呪術的な宗教者です。理想的な山岳修行者として尊崇された彼は、のちに修験道の開祖と仰がれることになりました。求菩提山にも入山伝説があります。
不動明王(鎌倉時代)
修験道では、不動明王は大日如来の化身とされ、また、山伏は自らを不動明王の化身だとしました。
この不動明王は山伏の家に祀られていた物です。
神仏習合
大自然の営みの中に八百万の神々の降臨を感じた私たちの祖先は、6世紀頃に大陸から仏教が伝来すると、「外国からやってきた神様」とそれを受け入れ、やがて日本古来の神の信仰と仏教との融合がすすみます。そして僧形八幡像にみられるような神仏習合像がつくられたりしました。
天狗
天狗のルーツをたどると、それは流星と結び付けられ、空を飛び音を発しながら地上におりてきた怪獣のごとくとらえられています。また描き出されるその姿はさまざまです。求菩提山の天狗は山伏姿をしたカラス天狗で、その名を次郎坊といい、「火伏せの神」として山中の天狗社に祀られました。火は水によって鎮められます。したがって天狗は雨を降らせる水の神ということができ、農業信仰とも結びつきました。
求菩提山八天狗像(江戸時代)
金剛界大日如来座像(平安時代)
大日如来は太陽を神格化することによって創造された仏で、密教や修験道では諸仏を統一する中心尊として位置づけられています。
この大日如来座像は、かつて山中の大日窟に安置されていたものです。両腕が欠損していますが、智拳印を結んだ金剛界大日如来と思われます。
女神像(平安時代)
修験道とは、わが国古来の山岳信仰を基調にして、古代北方系民族にみられるシャーマニズムや中国の民間信仰である道教の影響を受け、さらには密教(真言宗・天台宗)と結びついて平安時代に成立した神仏習合の宗教です。したがって、そこにはさまざまな信仰が交錯し、たくさんの仏たち、神々が登場します。求菩提山には多種多様な神仏像が伝わっていますが、その多くは12世紀の作と考えられています。
神像
日本の神々は、それぞれの肉体や個性があきらかにされていません。「目に見えない神々」です。しかし、仏教の伝来後、仏像の影響を受けて、神像が作られ始めました。
神仏習合像(室町時代)
天狗曼荼羅図(江戸時代)
八天狗と守護神が描かれていています。上段には天狗の主尊・太郎天(太郎坊)、その脇侍として左に毘沙門天、右に不動明王が配されています。