玄冲塚
伝説によれば、昔、求菩提には玄冲(げんちゅう)という若い山伏がいました。彼は座主の権勢の盛んなのをみて、自分も勉強してそのようになりたいと考え、京へと上りました。比叡山で修行し、やがて故郷に錦を飾る思いで求菩提へ帰ってくるのですが、自分の地位が危うくなると感じた座主は、腹心の山伏たちに命じ、玄冲を「石子責め」によって殺してしまいます。上からバラバラと石が落ち、次第に玄冲の体が穴の底に沈んでいこうとする時、死を目前にして、彼は「求菩提が三軒になるまで祟ってやるぞ」と叫んだと言われます。その後、求菩提は不吉なことが続くので、人々はこれを玄冲の祟りだと恐れ、玄冲塚をたてて弔ったと伝えられています。