豊かな自然と歴史がはぐくんだ里のくらし
       
      〜求菩提地区文化的景観の調査から〜
栗焼憲児  (豊前市教育委員会)
はじめに
 豊前市のシンボルである求菩提山(標高;782m)は、山岳修験の遺跡として重要性が認められ、2001年8月13日、国の史跡指定を受けた。その指定面積は求菩提地区、岩洞窟地区、如法寺地区を合わせて約157haと広大で、一山を構成するほぼ全域の指定がなされた。
 これを受けて豊前市教育委員会では、その保護と活用を目指し2003年には「求菩提山整備基本計画」の策定を行い、2004年度から国及び福岡県の補助を受け計画的な整備に取り組んでいる。また、併せて山内の整備対象地区の発掘調査も実施しており、成果を上げつつある。
 一方、山を中心とした求菩提地区には、修験の山を支えてきた人々の生活の歴史が優れた景観として残されている。これらを豊前市を代表とする景観として保全することが極めて重要であるとの認識から、求菩提地区文化的景観保護推進事業の実施が計画された。事業は2005年度から文化庁の補助を受けて実施され、本年度その基礎調査である景観調査が終了し、報告書の刊行がなされた。本稿ではその概略について紹介し、今後予定されている重要文化的景観の選定申し出に向けた序章としたい。

調査の概要
 調査はかつて求菩提山の入口であった東の大鳥居跡を境として、その上流にあたる地域を対象として実施した。その理由は近年行われた農地整備事業により、それまで遺されていた農村景観としての棚田(石垣)がここを境に下流では失われたこと、また、求菩提山岳修験を支えた鳥井畑の集落景観がここに含まれること、さらの、修験の場として重要である犬ヶ岳の自然景観をその構成要素として取り込む必要があったことによる。特に明和元年(1764)に作成された「豊州求菩提山絵図」に描かれた求菩提山に関するエリアと今回の調査対象地区をオーバーラップさせたことは重要である。
 さて、このように調査は農村景観、集落景観、自然景観を主要な景観要素として実施し、歴史的景観としての求菩提山との関わりを明確化することに努めた。特に重要なことは地元住民の日常的な視線による評価ではなく、客観的に景観要素を評価することであり、その結果、これまで見過ごされていた本地域の特徴を捉えることに主眼をおいた。

農村景観
 まず、農村景観については鳥井畑集落周辺を中心として広範囲に良好な棚田が保全されており、岩岳川の豊富な水源による堰上げと沢水を利用した水利が見られる。また、ツチ小屋と呼ばれる農作業用具の保管を行う施設も随所に見られ、求菩提の山麓に営まれた農村景観は独特な雰囲気を醸し出している。しかし急速な農地整備事業の進展により、棚田は全国的にその姿を消しつつあるのが現状で、豊前市においても例外ではない。特に労働力不足は決定的で、近年休耕地や転作、植林などが進み、ここ10年ほどで大きくその姿を変えつつある。
 そうした意味で、本地域は豊前市に唯一石垣による棚田が残された農村景観であり、十分評価に値する貴重な景観ということができる。

集落景観
 次に、集落としては中世以降、求菩提山を支えてきた鳥井畑集落があり、今も落ち着いた風情を見ることができる。全体としては、戦後の建て替えによる住宅が多いが、詳細な調査により伝統的な様式を抽出することができた。つまり母屋とマヤ(馬屋)をセットにした屋敷構えで、改修により屋根や壁面は建設当初の様式を留めていないものの、その多くは40〜50年以上経過している。こうした建造物は産家集落まで含めると48棟を数え、全体の85%にのぼる。
 この様な集落の特徴はともすれば見過ごしがちな日常の景観ではあるが、棚田を有する農村景観との融合で他地域には見られない、生活感ある集落景観として評価が可能と思われる。
 また、明治元年に求菩提の山中より移築したものも確認され、「ザシキ」「ナカアノマ」「ヒロマ」の表向き空間と「オクザシキ」「ナンド」「イマ」の内向き空間とが区別されている六間取り平面は本地域の伝統的な建築様式として看取できる。

自然景観
 さて、いま一つ求菩提地区の文化的景観を特徴付ける要素として自然景観を挙げることができる。周辺は耶馬日田英彦山国定公園として指定されており、今回の調査対象地域は第2種及び第3種特別地域として指定されている。特に犬ヶ岳(標高;1131m)を特徴付けるブナ林とツクシシャクナゲ自生地(国指定天然記念物)は豊前平野に豊かな恵みをもたらす水源の森を象徴する存在として知られる。
 その一方で、かつては炭焼きや坑木としての雑木の伐採がさかんに行われ、林業に生きる人々の生活を支える山でもあった。しかし近年は植林が進み、スギ・ヒノキを中心とした人工林の面積が増加したことで山に棲むシカやイノシシといった動物による獣害が増えていて、里に生きる人々の悩みの種となっている。こうした被害は里山が人々の生活と共にあった頃には無かったことで、自然との共生というバランスを崩したことが原因の一つともいえる。とは言え、常に自然の生態系に影響を与えてきたのは人間の営みであり、文化的景観を形成する過程においても同様であった。ただ、その影響を抑えようとする努力が微妙なバランスを生んでいたに過ぎないとしても、最近はそうした努力がかんじられなくなっていることも事実であろう。

歴史的景観
 山岳修験の山として豊前修験道の一大拠点であった求菩提山は「一山五百坊」と称され、お椀を被せたような特徴的な山容で見るものに鮮烈なインパクトを与える。山内では未だに多くの関連遺構が残され、豊かな自然と共に訪れる人の心を和ませてくれる。また、比較的平易な地形はハイキングコースとして最適で、初心者にも気軽に楽しめる山として魅力的である。さらに犬ヶ岳へと足をのばせば、1日かけて自然を満喫することも可能で、四季折々に変化する姿は感動的ですらある。
 こうした豊かな自然を背景にこの地にもたらされた修験道文化は、人々の生活とともに独自の文化をはぐくみ歴史と自然がおりなすしばらしい文化的景観を形成した。

これからの課題
 このように、求菩提地区には様々な景観の構成要素が認められ、個々の評価は平均的としても複合的に見た評価はきわめて高いものがある。特に山岳修験文化を基礎として生活してきた人々生業の上に、この景観が形成されてきたことに大きな意味がある。すなわち自然との共生を求めた修験道の目的がこの地に人が生きることを決意させ、その暮らしが歴史を創り、結果として自然と人との文化が融合した景観をつくり出したのである。
 我々人間が、地球という生命体を生み出した惑星に暮らす以上、全ての生きとし生けるものに敬意を払いつつ、自然とのバランスを常に考えなければならない理由がそこにある求菩提の文化的景観を守ることで、学ばなければならない我々の責任である。
 とは言え、過疎化が進む地域にあってそれは現実との戦いでもある。農業の後継者が居て、それを支える労働力が無ければ棚田は守れない。そこに住む人々が元気でなければ地域は守れない。我々行政の理念も試されている。
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