求菩提山の発掘調査
棚田昭仁(豊前市教育委員会)
 現在、求菩提山で実施している発掘調査は、求菩提山が平成13年8月に国指定史跡となったことを機に、平成14年度から毎年度実施しています。これは、史跡整備を前提としたもので、資料に裏づけされた正確な復元や説明を行うためのものです。
 調査初年度は護国寺伽藍の多宝塔に着手しました。これに関しては『求菩提資料館ジャーナル第17号』で報告しているので参照下さい。
 平成15年度には、同じく護国寺伽藍の常香堂(常行堂)と山門の調査を行いました。常行堂とは常行三昧という天台宗の修法道場で、千日行では最初の修法を行う場所となっており、修行の重要な拠点です。
 常香堂では、基壇と建物の規模などを確認しました。基壇を置く整地面は尾根の先端部分をカットして築き、背面は窟に近い状態を作り出しています。基壇の全面及び側面は野面積で飾られていますが、背面側は何も置かれず、地山の岩盤が床に露出した状態で、柱もこの上に直接立てられていたようです。また、この常香堂の3方には立派な菩提樹が立ち、大きな影を差しかけてくています。菩提樹は外来植物なので、誰が(修験者か)が手植えしたものに違いありません。菩提樹は樹下で釈尊が悟りを啓いたことで知られる尊い樹とされます。そして、また別の一面では、千日行などの行では欠かせない供物として菩提樹の葉が使われることも指摘できます。常香堂の調査時の写真は『求菩提資料館ジャーナル第18号』に掲載しています。
 一方、山門は敷地部分が参堂よりも、幅が約3m広くとられ、崖下側面の石垣よりも一回り大きめの石材を用いて、整美な造りとなっています。礎石とみられる石は4箇所で確認され、方形(5.3×9m)に並びます。この礎石は身舎のものではなく、外側の軒先などを支える柱のもののようです。石材は赤紫色の凝灰岩で、方形切石の上面に方形のほぞ孔がみられます。この赤紫色の凝灰岩は中宮拝殿の礎石で一部同じ石材が使われているのが確認できるもので、外部から搬入されたと考えられます。
 さて、平成16年度には、常香堂そばの頼厳上人供養碑周辺と閼伽井、そして杉谷の安浄寺の調査を行いました。
 頼厳上人供養碑周辺では、供養碑の隣に立つ石碑から線刻の僧形人物座像を再発見(築上史談会の大江俊明の研究ノートに線刻僧形人物座像のスケッチがあるが、公に発表されないまま忘れ去られていた)し、記録作業を行いました。石碑は地表よりも1メートルほど高い石垣の壇上に置かれており、この壇上に前列2基、後列3基が立っています。問題はこの中の後列一番左側に位置しています。僧形線刻座像石碑は地上高80センチ、幅54センチの自然石割石の平坦面側を正面に縦長く立てた形式で、山中の山伏墓と似ています。平滑な石碑前面中央に剃髪で袈裟を着用した僧侶と解る人物座像が浅く線刻(陰刻)されています。この石碑には人物画像の線刻以外には、なにも刻まれておらず、直接の来歴などは不明です。そこで横に並ぶ頼厳上人供養碑との関連のみが、考察の材料となりえるものです。恐らくは、求菩提山中興の祖である頼厳上人を顕彰して描いたものと推測できます。
 閼伽井は仏の供養に用いる水(閼伽)を汲むための井戸です。ここでは、谷の巨岩の下を流れる清水を切石組の井戸に溜めるようになっています。現在でも使用されているもので、「お田植祭」などの祭の時にはこの水が汲まれています。
 安浄寺は杉谷を通る表参道石段を最上部まで登りきった正面に位置する求菩提山山伏の葬儀を一手に執り行っていた施設です。求菩提山の中心施設である護国寺は死穢を禁忌とする聖域結界内にあるため葬儀を行う寺を別に設けたものと思われます。
 調査では建物の基壇・礎石の一部と、庭園の一部、排水用の暗渠を確認しました。
 この16年度は台風が続けて上陸し、これらの何れもが雨台風であったため、溢れた水が参道の石段を抉ったり、坊の石垣を崩落させたりしました。安浄寺では境内が溜池のように水に浸かり、ナイアガラの滝のように雨水が石垣を流れ落ちる状況で、石垣崩壊の危機を感じました。そこで、安浄寺の境内中央部に暗渠排水施設があることは以前から知られていましたので、これを発掘調査するとともに内部を清掃して境内に水が溜まらないようにしました。暗渠は自然礫を両側に並べて壁を造り、蓋には山中で産出する板石を用いて築かれているものです。
 基壇と礎石は一部を調査して、遺構を確認しただけでしたが、寺院建築よりも、坊を想わせる状態でした。庭園では立石を確認しています。
 平成17年度は前年度に引き続き、安浄寺の調査、そして昨年大雨で被害を受けた杉谷参道の石段復旧工事に先立つ構造確認の調査を行いました。
 参道石段は、裏込に石の大小を構わず用いて、蹴上がりの石の面と高さのみ合わせて造られた山伏らしい素朴な構造でした。また、石段のスパンが広い部分では、途中の壇が埋土でかくれてスロープへと変わった状況が確認されました。ほとんどの広くなっている段が実は2段もしくは3段にわかれるようです。
 安浄寺の基壇及び礎石は昨年度の印象どおり、坊建築とにた形態といえそうです。隣の敷地に位置する岩屋坊と比べると基壇の縁を巡る石やその上に並ぶ自然石を利用した礎石の雰囲気も似通っています。
 庭園は敷地背後の露出した岩肌を借景として、岩の隙間から湧き出す水で池を満たす造りです。池の前面には大小の自然石立石を、緩急をつけて配置します。そして、池を発掘するときには6〜13pのブチサンショウウオが石の下に隠れていました。このサンショウウオは幼生時には水中で過し、成体になると陸棲化するそうです。なお、サンショウウオの幼生は座主坊入口参道前の水路を覗き込むと3〜4pほどの黒い個体をみつけることができます。また、境内には多くのミツマタが自生していましたが、これはもともとこの地に存在しない植物ですので、紙作りを行う目的で外部から持ち込んだものでしょう。また、秋には坊跡で、トリカブトが美しい花を咲かせていました。このように、調査中には発掘で出て来たもの以外にもさまざまなものが目に入ります。こうしたものすべてが求菩提山を構成するもので、常行堂そばの菩提樹のように遺構と深い関わりのあるものも少なくありません。求菩提山での調査は日頃我々が行っているものとは違い、修験の山がもつ特別な感覚を体験できるような気がします。
 
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