平成17年(2005)春、求菩提資料館では開館30周年記念「求菩提山に魅せられた人びと」と題して、企画展を開催した。その際、未公開の資料の一つとして、昭和前期に豊前・築上地区で活躍した大江俊明氏が収集、または書き残した資料を、大江氏のご子孫よりお借りして展示することになった。その資料の中には今まであまり知られていなかった資料も何点か存在するので、ここに整理して紹介したいと思う。
 その前に大江氏について簡単に紹介したい。
 大江俊明氏は明治27年(1894)に現在の豊前市大村に生まれた。大正2年(1913)に父壽太郎氏が開業した印刷業に従事し、昭和4年(1929)に「築上新聞」を創刊し、自ら健筆を振るった。その一方で昭和4年に「築上史談会」を発足、また昭和8年に「豊前山岳会」理事、八屋町会議員になるなど郷土の政治・産業・文化の発展に寄与した。特に、求菩提山の学問的評価や求菩提山を含む犬ヶ岳周辺の自然保護と観光開発に熱心に取り組んだ。現在国宝に指定されている銅板経の一部が戦後間もなく、何者かによって盗まれ、売られていたが、それを買い戻したのは大江氏であったとも言われている。その買戻しが行われたとされる4年後の昭和29年(1954)に大江氏は逝去した。
 大江氏はこのように求菩提山に関することに熱心に取り組んだが、その一環として、求菩提に関する資料の収集や自らが書き残した資料など140点を残した。これらの活動は、当時同じように求菩提山研究に取り組んでいた、岡為造氏(1886〜1957)や今吉政吉氏(1884〜1940)らとともに行った成果である。
 次に、資料(後掲表)を大まかに分類してみると次のようになる。

分類 番号 資料分類 点数
A 1〜12 古文書(実物) 12
A' 13〜54 古文書(写し) 42
B 55〜63 古記録採録 9
C 64〜66 豊前山岳会文書 3
C' 67〜81 豊前山岳会写真 15
D 82〜100 求菩提山調査記録 19
E 101〜106 観光開発関連文書 6
E' 107〜114 観光開発関連写真 8
F 115〜123 その他文書 9
G 124〜140 その他写真 17

 このうち、古文書資料は国玉神社「求菩提山文書」にはないものである。ただし、その多くは類似のものがすでに知られている。その中で求菩提山鬼神社再建の勧進が行われた記録(2・5)は今まで知られていなかったもので、19世紀のはじめに鬼神社再建計画があったことがわかった。
 これらの古文書は大江氏が以前より所持していたものではない。何らかの過程で入手したものである。その中で常秀坊文書はその末裔という人に実際に会って話を聞いた上で文書内容を写したということを自身が記録している(注1)。当時、山に残っていた山伏の末裔ではなく、山から出た末裔から得たものが、この資料の主体となっている。
 次に注目したい古文書は、如法寺文書といわれる高橋元種発給の2通の文書(53・54)である。この文書はすでに『豊前市文化財調査報告第4集』(1983年)にも掲載されており、文書がかつてあったことやその内容は知られているのだが、現時点での所在が不明である。昭和9年9月15日発行の「築上新聞」によると、如法寺のある山内地区のとある家で1通本物を見せてもらっている。つまり昭和初期までには山内集落に本物があったのである。ただ、80年近く前の話であり、当時の事情を知る人はいないため、今となってはどこにあるのか定かではない。
 如法寺は中世末、馬ヶ岳城主・黒田長政により破却・焼討ちにされた可能性があり、文書資料がほとんど残っていない。そのため対立していた求菩提山(注2)の中世文書との比較検討を困難にしている。この2通の文書から、当時、如法寺を本拠にする国人である如法寺氏が香春岳城主・高橋元種の支援を受け勢力を広げていたのではと考えている。そのため如法寺氏は、秋月氏さらには島津氏とも連携していたのではないか、逆に求菩提山は大友氏に支援された立場であったのではないかと推察するのであるが、もう少し資料がほしいところである。そのあたりも高橋元種文書の所在がわかれば、ほかにも関連する資料があるのではと期待するのであるが、そのことを含め残念に思う。
 次に資料の中で、注目したいのが、岡氏らとともに行った求菩提山に関する調査記録である。このうち印刷されたものは今までにも知られており、重松敏美氏らもさかんに参照している。しかし、「86〜94」の手書き資料はあまり知られていないようで、後の研究所にはほとんど引用がない。
 たとえば、平成16年に豊前市教育委員会によって、求菩提山中宮常香堂付近より、「僧形坐像の線刻」が発見されたが、すでに大江氏らはその存在を知っており、「調査ノート」(88〜90)に書き込んでいる。ところが、重松氏らの調査ではそのことには一切触れられていない。昭和初期に見えていた線刻が苔むしたため、40年後には見えなくなっていたものと考えられる。
 また、「求菩提山名勝見取り図」(91)や「求菩提山諸堂行場由緒地略図」(92)という手書きの地図もおもしろい。実際に山に入り、自分たちの歩幅で距離の目安をつけながら、かつての修行場や遺構の名称を記入している。ほとんどが今でも確認の取れている地名ばかりであるが、中には「拝み石・夕日窟・札打木山・岩石宮」など知られていない地名や、今は「笹の宿」という宿名が現在地と一致しない(注3)などということがある。地名に関しては豊前山岳会山行記録(日誌や築上新聞記事に掲載されている)も合わせると、さらに新たな資料となりえると考える。
 この地名に関する資料から考えると、私が『資料館ジャーナル』19号で推定した龍門窟の所在地は微妙にずれている。もちろん大江氏らのこれらの地図が正確かどうかは考慮する必要はあるが、後世の研究に修正を求める資料もあるということを示しているといえよう。
 今回紹介の資料は岡氏や大江氏が実際に自分で山に入り、地道に調査した記録である。大江氏の時代は、考古学的調査はほとんどされていない代わり、修験道廃止以前を知る人が存命していたので、そういう人からの聞き取りながらの調査であったのではなかろうか。今も三谷敏彦氏(豊前市在住)が山伏の末裔の古老から地名の聞き取り調査を行っているが、不明確な部分も多い。そこで、これらの資料を加味することで、かつての行場や地名を整理することがある程度可能だと思う。
 以上はなはだ簡単ではあるが、大江俊明氏資料を紹介した。
 大江氏らの活動は現代の行政主体の学術調査や興味本位の古物収集とは異なっている。民間の立場から、郷土を愛し、発展させるにはどうしたらいいかという観点から山に入り、今回紹介した資料を残してくれた。この点がかえって新鮮に思うことを最後に付け加えておきたい。
 なお、大江氏の資料は現在、ご子孫の個人蔵となっていることから非公開である。よって、資料を閲覧する場合は、ご子孫のご了解を得ていただきたいと思う。

※文中()・「」内の番号は後掲資料番号
(注1)写し原稿の冒頭に経緯を書いている
(注2)求菩提山と如法寺氏の争いについては、『求菩提資料館ジャーナル』16号参照のこと
(注3)宿は行場の1つ。現在、笹宿は一ノ岳と推定しているが、大江資料では一ノ岳は峯宿で笹宿は一ノ岳よりやや北側に位置している

参考文献・資料
 『豊州求菩提山修験文化考』(重松敏美著)
 『豊前市史』(豊前市編)
 『椎田町史』(椎田町編)
 『広報 豊教だより』75号(豊前市教育委員会)


大江俊明資料一覧
分類 番号 年号 資料名 備考
A 1 享保6年 覚(誓文) 古文書(常秀坊)
2 享和3年 鬼神社造勧進証文 〃(常通坊)
3 寛政2年 松会施入願 〃(浄賢坊)
4 寛政7年 当国檀那控帳 〃(常秀坊)
5 文化元年 鬼神社造勧進証文 〃(常秀坊)
6 天保13年 お田植祭盛一臈勧化帳 〃(浄賢坊)
7 安政5年 鬼神社再建諸入用控帳 〃(常秀坊)
8 安政7年 松会色衆役差控帳 〃(浄賢坊)
9 文久元年 豊後国杵築領内檀那家控帳 〃(常秀坊)
10 元治元年 豊後国杵築領日出領檀家控帳 〃(常秀坊)
11 明治3年 求菩提山各坊先祖・改名書上帳 古文書
12 明治 改山名・改名承諾状
A' 13 享保6年 覚(誓文) 常秀坊文書写し
14 天明8年 茶園売渡証文(増鏡坊より藤之坊)
15 明和8年 茶園売渡証文(藤之坊より常通坊)
16 寛政7年 当国檀那(築城郡他)控帳
17 文化元年 鬼神社造勧進証文
18 文化7年 一山一老職控
19 文政4年 呈覧(詫び状)(増立坊より)
20 文政5年 誤書書上(詫び状)(玉蔵坊より)
21 文政8年 金襴地官科状(玉蔵坊へ)
22 天保 (周防長門)廻檀申受状(延常院宛)
23 弘化3年 檀家売渡証文(藤之坊・引地坊より)
24 嘉永4年 常楽坊檀家代常福坊受取状
25 文久3年 中谷坊檀家売渡状(大輪院他より)
26 (穂波)札配り廻文(賢秀坊)
27 (嘉麻)廻檀証文(玉祥坊)
28 (嘉麻)廻檀証文
29 (嘉麻)廻檀証文(玉祥坊)
30 (穂波)廻檀証文添書
31 覚(配札証文)(嘉麻)(玉祥坊)
32 (庄内)廻檀証文(西尾坊)
33 不明 配札証文
34 袈裟着用届け・許可
35 廻檀手形(門之坊)
36 不明 免札受取状
37 不明 御祈祷調方事
38 不明 覚(調味料分量)
39 明治3年 (八代)廻檀通行許可証
40 明治 改山改名承認
41 明治 大麻札お礼状
42 明治 札・文箱請取状(秋月藩民部係より)
43 明治3年 (嘉麻)廻檀証文
44 明治4年 配札証文(常盤河内=常秀坊)
45 寛政2年 松会施入願 浄賢坊写し
46 天保13年 御田植祭大会盛一臈勧化之事
47 安政4年 大門口坊補任状(初度)
48 安政4年 大門口坊補任状(二度)
49 安政7年 松会色衆役差帳
50 不明 吉祥会作法
51 安政4年 華供峯中規定略記 文書写し
52 明治3年 求菩提山宮司以下改名調子書上帳
53 天正10年 高橋元種寄進状 如法寺文書写し
54 天正12年 高橋元種補任状
B 55   宇都宮大系図ほか如法寺資料 写し、如法寺関係
56 天明6年 小倉領寺院聚録(部分)
57 不明 恒遠醒窓漢詩
58 不明 松川北渚漢詩
59 元和8年 山内村に関する小倉藩記録 写し
60 安政4・5年
61 明治11・17年
62 嘉永3年 山内村調(小倉藩記録)
63 嘉永3年 求菩提山記録(建物について)
C 64 昭和9年 豊前山岳会会報(2) 冊子
65 昭和8年 豊前山岳会日誌 手書き
66 昭和25年 豊前山岳会会報(1) 冊子
C' 67 昭和8年 国見山国旗掲揚台   豊前山岳会登山、写真  
68 昭和8年 国見山展望台
69 昭和8年 求菩提薬研谷(国見山山行)
70 昭和8年 国見山展望台、上城井村大島村長
71 昭和8年 国見山展望台
72 昭和8年 国見山展望台
73 昭和8年 世須ヶ岳(犬ヶ岳登山口)
74 昭和8年 雁股西ノ台より東ノ台展望台
75 昭和8年 雁股山(東)展望台
76 昭和8年 大平山キャンプ場
77 昭和8年 大平山キャンプ場
78 昭和8年 大平山
79 昭和8年 大平山から八面山
80 昭和8年 唐原村有野弘法窟
81 昭和8年 有野弘法窟
D 82 昭和9年 求菩提山史 岡為造著、ガリ版
83 昭和16年 求菩提山案内 大江俊明著、原稿
84 昭和18年 豊前求菩提山調査書(1) 大江著、冊子
85 昭和18年 求菩提山調査書(2) 大江著、原稿
86 不明(戦前) 国玉神社由来参考書 岡著、手書き
87 昭和21年? 高彦神社と牛馬安全護符について 岡著、はがき
88 不明(戦前) 求菩提山調査ノート 大江著、手書き
89 不明(戦前) 求菩提山調査ノート
90 不明(戦前) 求菩提山調査ノート
91 不明(戦前) 求菩提名勝見取図
92 不明(戦前) 求菩提山諸堂・行場・由緒地略図
93 不明(戦前) 求菩提山古碑年代表(墓碑銘記録)
94 不明(戦前) 求菩提山石碑年代写し
95 不明 求菩提山御田植太田主主歌 活字印刷
96 昭和23年 豊前求菩提山詩歌集 岡・大江共著、手書き
97 昭和23年 豊前求菩提山の神社・座主・里謡・舞踊
98 昭和23年 豊前求菩提山大権現の敷地・護国寺の領地   
99 昭和23年 豊前求菩提山の風俗・檀家
100 昭和23年 豊前求菩提山の博物
E 101 昭和18年 求菩提山護国の英霊大追弔法会案内 印刷物
102 昭和18年? 求菩提山新四国八十八箇所霊場巡り 原稿
103 昭和18年? 求菩提山新四国八十八箇所霊場巡り 印刷物
104 昭和18年頃 求菩提山国立公園化経過資料 手書き他
105 昭和24年 求菩提山キャンプ村案内状 ガリ版
106 昭和29年 求菩提山神社文化財復興奉賛会 手書き
E' 107 昭和8年 脇水博士国立公園化調査記念写真(中宮) 国立公園化調査、写真
108 昭和8年 犬ヶ岳甕ノ尾
109 昭和8年 脇水博士犬ヶ岳調査
110 昭和8年? 犬ヶ岳登山記念(求菩提山中宮)
111 昭和8年? 寒田
112 昭和8年? 牧ノ原
113 昭和8年? 牧ノ原より鉾立
114 昭和8年 寒田谷
F 115 昭和24年 挟間千手観音顕彰会設立趣意書 手書き
116 昭和25年 築上郡神社総代会案内 ガリ版
117 昭和25年 第4回築上郡内史跡調査
118 昭和25年 第5回築上郡内史跡調査
119 不明(戦後) 豊前郷土文化研究会会報
120 不明 求菩提山盆踊 島田芳文作詞、印刷物
121 不明 郷山小唄 広沢乙彦作詞、印刷物
122 昭和28年 福岡県年中行事4月・9月・10月 NHK福岡編、ガリ版
123 昭和28・29年 郷土資料調査委員報告11・12・16
G 124 昭和8年 新田原覗山より英彦山・築上連山 写真
125 昭和8年 新田原覗山より英彦山・犬ヶ岳連山
126 昭和9年 観楓登山記念(中宮前)
127 不明 旧一ノ鳥居付近、橋と宝寿寺
128 昭和8年 犬ヶ岳二ノ渡キャンプ場
129 不明 一ノ鳥居前記念写真
130 不明 山内堤谷池付近より合河・経読・求菩提
131 不明 集合写真(屋敷内)
132 昭和19年 山の慰霊祭記念(産家集落)
133 不明 犬ヶ岳玉垂の滝 写真絵葉書
134 不明 犬ヶ岳霧降の滝
135 不明 求菩提山のユリ(同じものが3枚)
136 不明 犬ヶ岳の黒雲草ともみじぐさ群落
137 不明 一ノ岳より阿蘇・九重
138 不明 札打木山より犬ヶ岳
139 不明 犬ヶ岳恐淵
140 不明 獅子の滝(みそぎ場)

(注)資料名については表題があるものはそのまま、ないものは内容から林川がつけた。また、番号は今回の資料紹介用につけたもので、所蔵品リストの番号とは異なる。
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大江俊明資料について
林川英昭  (求菩提資料館職員)