求菩提山史跡整備に係る覚書
栗焼憲児(豊前市教育委員会)
豊前市の西端、最も奥深い場所に聳え立つ求菩提山は標高782m余の火山性の山である。一帯はその奥に位置する犬ヶ岳を含め耶馬・日田英彦山国定公園に含まれ、その多くは第二種特別区域である。そして2001年には求菩提山を中心とした区域約160haが国の史跡として指定を受けた。
これを受けて2002年度、豊前市教育委員会では今後求菩提山一帯を整備すべく求菩提山整備指導委員会(委員長;西谷正)の指導を受け整備基本計画を策定した。その詳しい内容については報告書(史跡「求菩提山」整備基本計画報告書;2003)に譲ることとし、ここではその前提となる山の現状と、整備に対する基本的な考えかたについてまとめてみたい。
山岳修験道の山として求菩提山が世に知られるようになったのは平安時代末期のことと考えられる。現在山中に残される遺構のほとんどはこれ以降近世までのものであり、その遺存状況は良好である。こうした遺構は建造物と地上に残された構造物(石垣、石段、窟など)とに大別でき、それらについて必要な保存整備を行うこととなる。その支視点は史跡としての保全を目的としたものと、史跡の活用を行う上での復元を行うものとが考えられ、併せて自然環境の保全も考慮しなければならない。現在の山の状況は平成3年の台風災害の傷跡がなお残り、かつ平成13年に最後の住人が下山したことから無住の山となり、人の気配を感じることのできない空間となっている。それはある意味静寂であり、一方で無味乾燥とした空気を醸し出している。
さて、こうした現状を踏まえ平成16年度は指定地内に残された建造物について、総合的調査を予定している。対象となるのは国玉神社上宮、中宮、鬼神社、社務所、御旅所、豊照社、愛宕社、岩屋坊、滝蔵坊、琴比羅社、吉祥窟、多聞窟である。これらは何れも近世に建立されたものであるが、史跡の景観を構成するものとして重要であり、それらの建築学的な特徴を明らかにすることにより保全に必要な対応が求められる。
一方、かつて重要な施設があったものの、現状ではその痕跡しか残されていないものも多く、その構造を知るうえで考古学的な調査も必要である。そのため、平成14年度からは山内の重要な遺構について確認調査を行っている。昨年度は中宮に明治33年まで存在した多宝塔の調査を行い、残されていた絵図に忠実な基壇と礎石を確認した。さらに、本年度は求菩提修験道の代表的な修行である千日行に係る最も重要な施設である常行堂の調査を実施している。その詳細は改めて報告するが、記録にあるとおり2間×2間の礎石を確認し、付近から智性坊の表示のある板碑を検出した。また、かつて仁王像が納められていたという山門についても確認を行い、その構造を明らかにできた。今後は護国寺講堂、安浄寺、食堂、智性坊、氷室などについても順次調査を実施し、その構造を明らかにしてゆきたい。