《館蔵資料紹介》 役行者像残欠
 役行者像背面残欠の内部には墨書があり、そこにはつぎのように記されている。

「敬白、求菩提山護国寺於中宮役行者者致再興事、
本願主宿老拾人衆徒歓喜己上以是宣也、入用之義者出老若上下共、袈裟別之助成以遂造畢之功令遷宮者也、然上者一天泰平国土円満諸人快楽仏法興院衆徒繁昌寺内富貴威光自在寿皆令満足十方旦那諸人謁仰永合玉体之掌以垂三宝蒙迎中密契聴許也、是則仏恩之深答行者之徳也、弥堅固而当山両部之峰無懈息守護無疑者也、依之行者月氏、辰旦日域無双之行者ハ奉申者也、昔之置札彼日役行者中宮仁御安座以来九百拾三年及也、其間再興今昔弐度今度之再興仏師西国一中今井於椿之津和泉守吉次是再興畢
本願主宿老拾人之事
一、和尚権大僧都 坂口坊頼永
一、和尚権大僧都 福善坊円清
一、和尚権大僧都 宝泉坊祐尊
      権律師   本勝坊舜清
      権大僧都 善汲坊清尊
      権律師   宝知坊祐清
      権律師   西尾坊清祐
      権律師   常賢坊良順
      権大僧都 行光坊舜陽
      権律師   谷之坊南教
一、当山大越家権大僧都福善坊円清
   両年行事惣厳坊 但□□□坊林秀
一、同大先達権大僧都宝泉坊祐尊
   干時、慶安弐年丑初冬吉辰
一、修行代権大僧都般若院中之坊慶
   筆ハ中之坊越舜」

 胎内の墨書によって、この役行者像が、慶安2年(1649)に2度目の再興をみたものであることがわかる。仏師としては和泉守吉次の名前が見える。
 また墨書の中には、宿老銘などがあり、当時の一山の組織を知るうえで貴重な資料である。
 頭部50センチメートル、背部65センチメートル。
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